じごくのにこ

幸せに生きるための考えをまとめてます。

自分の話をします① 自分が嫌いだったニコのこと

   

今日はニコ自身の話をします。。。。

と書き始めてみたけど、これが案外辛くて全然文章が進みません笑

ので、あんまり感傷的にならないようにさささーっと書きます。

ニコは2人の兄の下の末っ子長女として産まれました。

「ニコが赤ちゃんのころ、可愛くなかったから親戚のおじさんが笑ってたよ」ということを、母は何度も可笑しそうに言っていました(大人になるまで長い間この言葉に縛られました)。

随分小さい頃に、「私は可愛くない」と知ってしまったので、写真を撮られるのが本当に嫌いでした。カメラを向けられると、頼まれるままポーズをとって、レンズに抗議の目線を向けていました。

母は、可愛くない娘だった私を、せめて、将来困らないよう賢く育てたかったのだと思います。

小さい頃からから、本を読むと褒めてくれました。絵を描くのも好きでしたが、絵を描く子供の役割はもう兄がやっていたので、ニコは「賢い担当」。小さい頃はいっぱい本を読みました。誕生日やクリスマスに両親はプレゼントを買ってくれましたが、物心ついて以降、ただ楽しむためのオモチャは却下され、本か、知育によさそうなものだけが採用になるのでした。

両親に厳しく育てられた3人兄弟でした。2人の兄、特に下の兄はよく私を虐めました。殴る蹴る、私のものを盗むといった調子で、私のランドセルは小学校登校初日にボロボロになりました。

母は常にイライラして、私に父と兄たちの悪口を言っていました。

にこはその姿を見て、「母は私や兄たちのことを好きだとか大事だとか口先では言っても、本心では嫌いだし、迷惑がっているのだな」ということを学習してしまったように思います。だから、母に気に入られたくて必死でした。

母は私に山ほど教材を与えて、5歳の頃から、自宅学習をさせました。5歳の時には、一年生の内容。一年生になったら二年生の内容。こういう自宅学習が、高校受験の時まで続きました。おかげで、学校の授業は暇で、無駄な時間を過ごしました。習い事も、母が決めた通りのものをこなしながら。本当に忙しい子供時代でした。

「自分は可愛くなく、女の子らしくなく、取り柄といえば、本をたくさん読むことだけだ。両親にはただでさえ、世話をしてもらって迷惑をかけているのだから、困らせるようなことをしたら絶対に嫌われるだろう」

と、このように思っていました。頑張って頑張りまくったけど、いつまでたっても母は不満そうでした。

両親はニコに、大企業に勤めるバリキャリ女になって欲しかったのだと思います。高校に入って悪い成績を取ると、滅茶苦茶に怒鳴られて恥知らずと言われました。絵を描くのが好きだったので、アートの方面に進みたい、そっちを勉強してみたいと泣いて両親に抗議しまたが、「夢が叶うなんて考えるのは馬鹿のすることだ」ということを小さい頃から刷り込まれていたので、あっさり説得され、両親が許す大学に入りました。

家庭の中で、くだらないこと、悲しいことが山ほどありました。思い出そうとすれば、あれもこれもと、止めどなく溢れてきます。

もちろん楽しい時期もあったはずです。母は話がうまく趣味のいい人でしたし、父は、私の教育に惜しみなくお金を使ってくれました。それでも私は「幸せな幼少期」とかの言葉を読むと違和感しか感じないのです。

あまり思い出したくもないけれど、辛かったです。辛かったというか、その当時は、それが人生だと思っていたから辛くもなかった。

だんだん大人になるにつれ、「どうやら私が思っている普通は、全然普通ではないらしい」ということを知り、徐々に蝕まれるようにして、悲しみの中に落ちて行ったのでした。

おそらく、ニコの両親は、人を愛するということを殆ど理解しないまま大人になってしまったのだと思います。なぜなら、彼らもまた、両親にそれを教わらなかったから。

そして、そういう人は世の中にたくさんいる、とニコは思います。そして、それを少しでも変えて行きたい。

幼い頃の私のような思いを、どんな子供にも、大人にも、させたくないなとおもいます。

わーーーーー!しんどい!暗い話、しんどい!

次回②では、こんなしんどい状況で超暗い女に育ったニコが、どのようにして回復してきたか、という話にします。

過去の話は辛いので、かなり間が空くかもしれません。。

ニコ

 

 - ニコの自分語り, 独り言